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御法語

今月の御法語をご紹介いたします。


対治慢心

 まことしく念仏を行じて、げにげにしき念仏者になりぬれば、よろずの人を見るに、みな我が心には劣りて、浅ましくわろければ、我が身のよきままに、「我はゆゆしき念仏者にてあるものかな。誰々にも勝れたり」と思うなり。この心をば、よくよく慎むべき事なり。

 世も広く、人も多ければ、山の奥、林の中に籠り居て、人にも知られぬ念仏者の、貴くめでたき、さすがに多くあるを、我が聞かず、知らぬにてこそあれ。

 されば、「我ほどの念仏者、よもあらじ」と思う、僻事なり。この思いは大驕慢にてあれば、即ち三心も欠くるなり。またそれを便りとして、魔縁の来たりて往生を妨ぐるなり。

 これ、我が身のいみじくて、罪業をも滅し、極楽へも参ることならばこそあらめ、偏に阿弥陀仏の願力にて、煩悩をも除き、罪業をも消して、かたじけなく手ずから自ら極楽へ迎え取りて、帰らせまします事なり。

 我が力にて往生する事ならばこそ、「我かしこし」という慢心をば起こさめ、驕慢の心だにも起こりぬれば、心行必ず誤る故に、たちどころに阿弥陀仏の願に背きぬるものにて、弥陀も諸仏も護念し給わず。さるままには悪鬼のためにも悩まさるるなり。

 返す返すも慎みて、驕慢の心を起こすべからず。あなかしこ、あなかしこ。


現代語訳

 まじめに念仏を行い、いかにもそれらしい念仏者になると、多くの人を見るにつけ、みな自分の心より劣り、あきれる程ひどいので、自分をよしとする思いにまかせて、「私はなんと立派な念仏者なのだろう。だれよりも上だ」と思うようになるのです。こうした心こそ、よくよく慎むべきなのです。

 世間も広く、人も多いので、山の奥、林の中に隠れ住み、人にも知られていない念仏者で貴く素晴らしい方が、やはり多くいるのを、自分が聞かず、知らないだけのことなのです。

 ですから「私ほどの念仏者は、まさかあるまい」と思うのは心得違いです。この思いは大変な思い上がりなので、つまりは三心も欠けることになるのです。またそれをよいことにして、悪魔が近づき、往生を妨げるのです。

 この思い上がりも、自分が優れているために、〔自力で〕罪業をも滅し、極楽にも往生できるというなら仕方ないかもしれませんが、ひとえに阿弥陀仏が、その本願の力によって〔念仏者の〕煩悩をも除き、罪業をも消して、もったいなくも自ら極楽へ迎え取って、お帰り下さるのです。

 自分の力で往生するというならば、「私は勝れている」という慢心を起こしても仕方ないかもしれませんが、思い上がりの心が起こっただけで、心も行も必ず道を外れるので、たちまち阿弥陀仏の本願に背くことになり、阿弥陀仏も諸仏もお守り下さいません。そのままでは悪鬼にも悩まされるのです。

 くれぐれも慎んで、思い上がりの心を起こしてはなりません。あなかしこ。あなかしこ。

 
 
 

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御法語

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謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。 旧年中は大変お世話になりました。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。 本年の真光寺と言えば、本堂や境内の修復が予定されております。檀信徒の皆様にはご迷惑をお掛けすることもあるかとは思いますが、御理解と御協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

 
 
 

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